古舘寛治とgiftedたち

ゲスト:海野敦さん

ゲスト:海野敦さん

「助監督として、“みんなが気持ちいい現場”をつくりたい」

公開日:2017.6.11

瀬々敬久、黒沢清、熊切和嘉、沖田修一ら、映画界のそうそうたる名手たちに愛される助監督がいる。それが今回のゲスト、海野敦さん。古舘寛治が才人(gifted)たちと語るシリーズ第5弾は、現代日本映画の“現場”をつぶさに見てきた、百戦錬磨の映画人との対話。謎に秘められた助監督という仕事にまつわる対話から見えてくるのは「クリエーションをすることとは何ぞや」という問いに対する、リアリティーあふれるヒントだ。これを読めば、あなたの今後の映画鑑賞が変わるかもしれない……!?

古舘

海野さんと初めてご一緒したのは、沖田修一監督の『南極料理人』(2009年)でしたよね。あのとき、海野さんはたしか、チーフ助監督をやっていらして。

海野

はい、チーフを務めていましたね。

古舘

……と言っても、僕も『南極』のときはいっぱいいっぱいだったので(笑)、海野さんがどう動いていらしたのかほとんど記憶にないんですが……。というより、助監督という仕事については、まだわかっていないというか、最近やっとわかってきたというか。 映画の現場には助監督の方が何人かいらっしゃいますけれども、どの方がチーフかさえ、情けない話なんですが、僕の立場からだとちょっとわからないんですよ……(笑)。その後に同じく沖田監督作品でご一緒した『キツツキと雨』(2012年)のときは、もう少し客観的に現場を見るように心がけたんですが、そのときの印象だと、海野さんはあまり現場にいないイメージでした。

海野

ああ、たしかにおっしゃる通り、あまりカメラ横とか、沖田監督のそばにいるという感じではなかったですね。

古舘

かといって、カチンコを鳴らすわけでもないじゃないですか(笑)。

海野

はい(笑)。チーフ助監督といってもいろんなタイプもいますし、いろんな環境の現場もありますから、カチンコを打つチーフ助監督もいますが。

海野敦さん 画像

海野敦さん プロフィール

1976年1月21日、愛知県生まれ。大阪の大学を卒業した1999年、映画美学校フィクション・コースに入学。Vシネマなどの現場を経て、瀬々敬久監督『サンクチュアリ』で、商業映画の助監督デビュー。沖田修一監督『南極料理人』『キツツキと雨』『横道世之介』、瀬々監督『ヘヴンズ ストーリー』『64-ロクヨン-』『8年越しの花嫁』、熊切和嘉監督『私の男』、黒沢清監督『クリーピー 偽りの隣人』といった話題作の助監督を務める。

古舘

……ということで恐縮ながら、改めて伺いたいんですけれども、助監督というのは何をする職業なのでしょうか?(笑)

海野

たしかに、分かりづらいですよね(笑)。一言でいうと「脚本に書いてあることを具現化する仕事」なんですが、体制としては、チーフ、セカンド、サード、フォースというように、だいたい3人か4人でやることが多いです。演出部と呼ばれることもありますね。

古舘

それぞれ皆さん、役割が違うんですか。海野さんのやり方は、セカンドに現場を仕切らせて、チーフの海野さん自身はスケジューリングを中心に調整しているように見受けられたのですが。

海野

そうですね、助監督全員で役割分担をします。といっても、たまたま古舘さんと一緒の現場だと僕が少し距離をとった調整役だっただけで、その時の監督や演出部の体制によっても変わってきます。現場を仕切るタイプのチーフもいますし。現場によって差はありますが、準備段階から大まかな役割が決まっているんです。 たとえば、チーフがスケジュールの管理をやって、セカンドがメイクや衣裳のことなどを担当する。他にも、役者さんが野球選手のお芝居をするというときに、じゃあ野球の練習をしましょうと役者さんに付き合うのはセカンドの役割だったりとか。そしてサードやフォースは美術や小道具まわり……というような大雑把な担当が、現場に入る前に決まっているんですね。

古舘

うわあ、大変だ……。今お話を伺っていて、僕なんかは助監督の仕事をできる気がしないんですが……(笑)。

海野

ああ、正直にいうと、向いてなさそうですね……(笑)。

構成・文:宮田文久
写真:高野由香里