古舘寛治とgiftedたち

ゲスト:土井裕泰さん(TBS)

ゲスト:土井裕泰さん(TBS)

「『カルテット』は、観ている方の“想像力”に訴えかけたかった」

公開日:2017.6.9

古舘寛治の対談シリーズ第3弾は、『重版出来!』や『カルテット』を手掛け、『逃げるは恥だが役に立つ』にも参加したTBSの名物ディレクター、土井裕泰さん。今もっとも世間の心を掴んでいるドラマの名手は、意外にも「わかりにくさ」を大事にしているという。さらに、若き日に演劇に身を投じた“秘話”の数々も披露してくれた。

古舘

土井さんとは最初はTBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』でご一緒して……というか、まだその一本しかご一緒出来ていないんですけど(笑)。

土井

いやいや(笑)、こちらこそ『逃げ恥』ではありがとうございました。

古舘

撮影の合間にちらっとお話をさせていただいた覚えがあるんですが、実は失礼ながらその時、僕は土井さんがどういう方が全然わかっていなかったんです(笑)。後から、TBSを代表するテレビドラマのディレクターと知って、そんな偉い人だったんだと気づいた次第で……恐縮ながら今日はぜひ、改めてお話を伺いたくてお呼びしました。

土井

そうだったんですね、でも偉くなんかないですよ……(笑)。こちらこそ、今日はよろしくお願いします。

古舘

早速ですが、土井さんはもともと、演劇をやっていらっしゃったんですよね?

土井

恥ずかしながら。早稲田大学の演劇研究会、いわゆる劇研に入っていました。それこそ、古舘さんが映画『淵に立つ』で共演された筒井真理子さんも劇研で、僕は2年後輩なんです。

土井裕泰さん 画像

土井裕泰さん(TBS) プロフィール

1964年4月11日、広島県生まれ。TBSテレビ・ドラマ制作部所属のディレクター。早稲田大学政経学部卒業。在学時に演劇研究会に所属、「山の手事情社」のメンバーとして活動。卒業後、TBSに入社。『GOOD LUCK!!』、『マンハッタンラブストーリー』『重版出来!』など数々のヒット作を手掛け、映画『いま、会いにゆきます』、『涙そうそう』、『映画 ビリギャル』などで監督も務める。『逃げるは恥だが役に立つ』にも参加、チーフプロデュースも兼任した『カルテット』は先の読めぬ展開で一大ブームを巻き起こした。

古舘

なるほど! そこから、劇研が母体である「山の手事情社」に参加された、と。

土井

はい、当時の劇研のなかに、アンサンブル(劇団)が3つありまして。ひとつは鴻上尚史さんたちが1981年に立ち上げられた「第三舞台」。筒井真理子さんもそこに参加されていましたね。その「第三舞台」から抜けて、演出家の安田雅弘さんと俳優の池田成志さんが立ち上げたのが「山の手事情社」。もうひとつは演出家・脚本家の鈴木勝秀さんがつくった、後に1987年に「ZAZOUS THEATER」として正式に立ち上げられる劇団です。 1964年生まれの僕が早稲田に入った頃は、劇研を母体にこうした劇団が活動をしていて、ちょうど「第三舞台」が紀伊国屋ホールに出るようになる時(注:1985年に『朝日のような夕日をつれて '85』を上演)。それまでは大隈講堂の裏でテント芝居をやっていたのが、プロになって行く端境期でした。僕はそんなところにはいる勇気もないので、できたばかりの「山の手事情社」に入って、4年間演劇をやっていました。

古舘

「山の手事情社」では俳優として活動されていたんですか?

土井

そうですね。ただ、どうしても俳優をやりたいという気は特になくて、どちらかというと裏方をやりたかったんです。それでも新人として劇研に入ると、何から何までやらされるわけですよ。他の劇団が公演をやる時には大道具を担当することもあれば、テントを立てたり、泊まり込んだり……いわゆる制作だけをやるというカテゴリーはなかったんですよね。 ですから、新人として身体訓練も含めて何から何までやっていて、自然に、いつのまにか舞台にも立っていたという感じでした。ただ……実は僕、最初に大学に入った1年目は、何をしたらいいのか、全然分からなかったんですよね。そして演劇だけは絶対にやっちゃいけないなと思っていたんです(笑)。

古舘

ええっと、どういうことでしょう……?(笑)

構成・文:宮田文久
写真:高野由香里